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東日本大震災被災者の体験談 インスタで人気の防災対策を紹介します

Victims of the Great East Japan Earthquake

 

私は、東日本大震災発生当時、東北にいました。出産間も無い我が子を抱いて、3歳の上の娘の手を引き、小学校へ避難しました。

 

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東日本大震災発生時に、大変だった事

 

 

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保存水は、軟水を用意する様にしてください。

小さめのペットボトルだと、紙コップの必要がないので、家族でシェアする時の飲み水には、500mlペットボトルがベスト。

Amazonブランドの5年保存水

 

 ライフラインが、完全にストップ

 

東日本大震災で、色々な事があった中で、短期的に大変さがダントツだったのが、ライフラインの完全ストップ

 

人生初めての経験で、私も、何が何だか状況が掴めないまま、時間だけが過ぎ去って行きました。

 

「この状態が、いつまで続くのだろうか・・・」

 

という、先の見えない不安に、精神的に押し潰された毎日でした。

 

東日本大震災で被災した経験から、皆さんに共有したいなと思う内容は

 

 ライフラインの再開しやすい順番

 

 1位 プロパンガス    

 2位 電気                  

 3位 都市ガス・水道

 

お引っ越しを考えている方に、一つアドバイスできるとしたら、都市ガスの復旧率の遅さです。地域にも寄りますが、水道の復旧より遅い地域もありました。

 

ガスが使えないと、お湯が使えません。冬場だったので、お風呂を借りに、遠くの親戚宅へ、毎日通っている身内がいました。

 

水道も、1ヶ月以上出ませんでしたので、私たちは、新幹線の再開の目処が立ったタイミングで、西日本の親戚宅へ避難させてもらいました。

 

新生児がいたので、お水のない生活は、想像を絶する大変さでした。

 

想像を絶する大変さをここで紹介すると、本当に気持ちが落ちてしまいそうなので、別の記事にしたいと思います。

 

 一人当たり1日に必要な水の量

 

お水に関しては、一人1日3リットルというのが、基本的に言われているところなので、ストックとして、飲料は、箱で買っておくことをお勧めします。

 

東日本大震災の時に、産後すぐ買い物にも行けないだろうと思っていたので、二箱飲料を買っていたおかげで、家族全員が助かった覚えがあります。

 

海外のお水で、家族(特に、おじいちゃんから)からは不評でしたが、文句言わないでと言って、飲んでもらいました。

 

東日本大震災発生時、食べ物が無かった

 

 

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 震災発生初日に支給された食べ物

 

東日本大震災発生時に

避難所に行った初日に貰ったものは・・・

 

  •  2Lの水のペットボトル
  •  お惣菜のパックに入った冷やご飯
  •  床に敷く毛布1枚

 

ご飯は、お葬式の時に出てくる様なお惣菜の容器に入ったご飯が一個。

 

そのご飯を、一家族でシェアして食べました。

 

お水も、2リットルのペットボトルを、市の職員の方から、一家族につき1本支給されたので、家族で少しずつ分けて使いました。

 

私は、授乳中だったので、水分を沢山摂りたかったのですが、暖房もきかない、床の冷たい体育館だったので、どんどん衰退してしまい、母乳が出なくなってしまいました。

 

 避難した小学校では

 

体育館の扉が空いているので、とにかく寒かったです。

 

そして、水道も流れないので、トイレの悪臭が、体育館中を覆っていました。

 

私は、震災発生直後、大津波警報とサイレンが物凄い鳴っていたので、「これは、ただ事じゃないぞ」と思い、子供たちと駆け足で小学校へ避難しました。

 

案の定、私達は、避難してきた一番乗りの方だったので、毛布なども貰えたのですが、あっという間に数が無くなって、ほとんどの方は、貰えてませんでした。

 

携帯も繋がらないので、外部の情報も遮断されていて、「寒い、狭い、臭い」と、贅沢な悩みをずっと抱えていました。

 

まさか、想像していなかった状況が、周りで起きていたなんて・・・

 

 震災ベビーと震災バースデーをお祝い

 

詳しく書く事は出来ませんが、私たちは、とある施設の倉庫に、数日間だけ、避難させてもらうことになりました。

 

新生児と、3歳の娘が居たので、生きていくために、最大限の努力をしました。

 

東日本大震災発生時が3月11日で、娘の誕生日が3月13日だったので、その倉庫で、誕生日をお祝いしました。

 

鍋の季節だったこともあり、ガスコンロを常に使っていたので、ガスコンロを使って、ホットケーキを焼いて食べました。

 

一瞬だけですが、私たちの周りに、笑顔が戻った瞬間でした。

 

東日本大震災直後の流通・支援物資

 

 

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パン2つ買うのに、7時間並ぶなどが、当たり前の光景でした。

 

ガソリン、水、食べ物、お金をおろすのも・・・全てが、とにかく不便で仕方ありませんでした。

 

「早く、支援物資が届けられる様に、道路が直らないかな」と、ずっと、待ちわびていました。やっと道路が通れる様になり、第一弾で、支援物資が届くかもしれないという話が、耳に入りました。

 

一番始めに、私たちのもとに届けられた支援物資があるのですが、どこの運送会社さんだと思いますか?

 

実は、西濃運輸さんです!

 

西日本の親戚が、ありとあらゆる所に聞き回ってくれて、届けられる運送会社さんを探してくれました。

 

感動の瞬間

営業所止めといって、運送会社さんのトラックが置いてある営業所まで、荷物が届いて、そこからは、自分たちで荷物を取りにいくのですが、人生で5本の指に入るくらい、嬉しい瞬間だったかもしれません。

 

ほとんど白ごはんしか食べてなかったので、おかずになる様な食べ物が沢山入っていて、本当に嬉しかったです。

 

そこから、私の友人たちも、西濃運輸さんに頼んで、支援物資を送ってくれる様になりました。本当にありがたかったです。

 

中々入手できず困ってたのが「牛乳」なんですが、「常温保存可能牛乳 」という物が震災後流通する様になりました。

 

オムツやミルクは、どうしたかというと、市役所に、全国から送ってくださる方が沢山いて、そちらを使わせていただいてました。

 

本当に、ありがとうございました。おかげで、東日本大震災の震災ベビーだった息子も、現在、9歳になりましたよ。

 

注意ポイント

よく、被災地に、千羽鶴を送ろうみたいな活動をされる方がおられるそうですが、本当に申し訳ありませんが、飾る余裕もないですし、必要な物資というのも、その時々で変わってくるので、問い合わせてから送っていただくことをお勧めします。

 

防災グッズで初心者にお勧めな方法

 

 

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だいぶ前の内容になっていますが、無印の頑丈ボックスに纏めて入れておけば安心です。

 

リュックは、持ち運び用として、ボックスは、長期保管できる食品を入れておいてます。

 

避難所で避難できる期間は限られているので、その後の備えというのが、重要だと思います。

 

 

今まで、学校で防災講座を開いたり、様々なシーンで、震災の話をしてきましたが、今後もSNSなどを通して、当時の話を知りたいという方に伝える事で、日本全国に備えの重要性を伝えていきたいと思います。

 

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